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泡沫の記憶Ⅱ

人の死を初めて目の当たりにしたのは、小学二年生の時だった。
亡くなったのは、母方の父である。

葬儀の日、私は祖父が横たわるその傍で、じっとその死に顔を見つめていた。不思議と涙は出なかった。その際感じた事は、悲しいとかそんな感情では無く、「いつか私もこうなる」という事実だった。それが幼い為のものだったのかは分からない。唯それだけははっきりと、今でも覚えているのである。

私が祖父について覚えているのは、兄弟が生まれる際、預けられていた時に見た、雪掻きをする祖父の後姿である。それ以外の記憶は、今はもう朧げである。それが人間の性か。会話も交わさず、唯後姿だけ眺めている記憶の方が鮮明なのである。

一期一会を伴う別れの涙なら、希望を携えて涙するのだろう。
そして人の死に涙するのは、その人との思い出を慈しむからこそ出来るのだろう。
冷酷と揶揄されても構わない。

今思い返して判った。
私はあの時、いつか来る私の死を覚悟したのだと。だから、あの時もその先も、人の死で泣いた事は無い。小学校の時校長が亡くなった時も、中学校の時いじめの相談を受けていた友人が亡くなった時も、私は唯、「自分も後から行くんだ」と、思うだけだった。
死者がその体を張って教えてくれるのは死だ。死は死でしか語れない。命が最後に教えてくれるその重みを、私達は知っている筈だ。その重みを携え、心のどこかに覚悟を決めて、歩いて行くのだろう。

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