意見

2008/05/04

自殺と金

自殺は個体の自由選択肢である。

と、いうのは私の持論ですが。

金が絡んでくると話は別で。

自殺すると何かと税金が使われるんですよね~。

社会の仕組みを甘くみちゃあいかんのです。

だから、自殺を「流行」に使うのはやめましょうよ。

何で硫化水素流行ってんだよ。

何でそれに乗るんだよ。

有毒ガス発生させたら、周囲の人がどうなるか位考えてくれよ。

周り見えなくても、周囲の人間のこと考えてやれよ。

それが出来なかったら、自殺なんかするな。

矛盾だらけだけど、頼むから。

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2008/02/12

冷凍食品が示した日本の食事情

今、「中国産を買うか買わないか」等の意見が巷を賑わせておりますが…

今回の事件で浮き彫りになったのは、本当にそんな事なのでしょうか?

このニュースから本当に見える・見なければいけない事は、「外国産が良いか悪いか」では無く、「外国産に頼るしかない日本の食品事情」―即ち、「日本の自給率の低さ」だと思います。

ある催しで、家畜に与える餌まで全て日本製の食材を選んで食べたらどうなるか―というのをやっていましたが、その結果、純粋なのは芋と後何か1つだけだった様な気がします。…記憶無くてスイマセンm(__)m

戦後70年も直ぐというのに、日本国の食事情には呆れたものです。
自分達で作れたら…それが本当に生きてる証。
アジアにばかりモノを言って(しかも主張すべき事をはっきり言わずグダグダ)、アメリカにはそんな事も言えないなんて…。
何一つ言わない事が日本の危機を排除しているとしたら大間違いです。
何故なら既にアメリカの属国としての危険を孕んでいるのですから。
生きたまま飼い殺しにされているのが現状。

…とは言いつつ。私も納豆食べてる時点で言える立場では無いんでしょうけども。
今も日本で暮らしてる訳で。。
屁理屈ですが、生きる為に食べさせて貰います。
…嗚呼、夢の自給自足生活。

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2007/12/21

ニュースを見て

ある特集を見て思ったコト↓

東京都現代美術館に行きたい!!
近未来の雑貨を体感したい!!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

C型肝炎について↓

言わずと知れた事だが、官僚は税金の殆どを私利私欲に費やしている。

道路やダムを作るなら、こういう事に回すべきだ。

肝心の政府は官僚を仕切るべきなのに、それすら出来ない日本の現状…。
現在この点において、田中角榮の右に出る政治家はいないと言われている。
彼は中卒であった。
だからこその型破りだったのかもしれない。

官僚は東大出身者ばかり(決して東大出身者を悪く思っている訳では無い。現状がそうだから書いたまでである)だが、過去問の傾向と同じ様に、必ずクセはある筈だ。
それさえ見付ければ…突破口が見えるかもしれない。

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2007/11/27

自殺と生命反応

いろんな観点がありますが、今回はちょこっと揚げ足取りで行きます。
最後の一文は遺族の方々には非常に失礼ですが、どうか、お見知りおきをm(__)m

死ぬのが悪い・弱い という見解は…そのまま生を否定する事に繋がると思うので、その様な言い分は大概にした方がよろしいのではないかと。

生は、死の始まり。

命の価値など、誰が量れるか。

幼少より生命について考察を重ね(おそらく、人とはそういうものなのでしょう。自分の哲学が存在する生き物なのかもしれません)、大学で化学科に入学した事により、思考はより現実的になりました。

まず、物理化学で言うところの厳密な孤立系は、少なくとも地球上には存在しません。
故に、世界と無関係であることは出来ない。
その為、外側から来る侵略に耐えねばならない必然が出てくるのですが、そう出来るかどうかは、その個体次第なのです。
又、細胞死にはネクローシス(壊死)とアポトーシス(能動的な細胞死)が存在するそうですが、虐めやリストラによる自殺は、例えるなら前者になるのでしょうか?
ネクローシスとは、細胞に強度の侵襲が加わった場合に起こるので、人の気持ち-心の基準により自殺は起りうるという事です。

よって、冷たく言えば、自殺は個体による自由選択なのです。

私にとっては、虐めなど芸の肥やしそのものでした(「卑劣な贖罪」参照)が、細胞―遺伝子が異なる限り、唯一無二の存在であり、十人十色のその言葉通り、そうで無い人がいて当たり前なのです。

勿論、「哀しい」形の死を遂げない為に、あらゆる思想・理由が存在する事は、少なくとも温かみのある人としての生き方であり、第三者の行動として、なくてはならないものです。

死は否定出来ない。
しかし、そこに愛があるのなら、「死ぬな」とも、言えるのだろう。

そして生命体は、生まれた瞬間から死という、生体が機能しない状態に移行していくのですから、当然、時間は死に向かって進みます。
これは、時間と生命の関わりが切り離せ無い事から来ています。
よって、死に向かって日夜歩いている私達は、必ず死にます。

死ねば終わる。それが現実。

だから死ぬ事自体、何も悪くも、弱くも無いのです。

いろいろと勿体ぶりましたが、そもそも善悪の基準とは、唱えられた時代・場所でしか機能せず、しかしだからと言って個体の自由を奪ったり、縛ったりする権利は誰にも無いのです。
よって個体―もとい細胞に悪意を持って接する行為は、人らしからぬ、非常に我が儘極まりない行為と言えるでしょう。

この様な事例において先を考える事は最も非情ですが、生きている限り死から何を得るかが、人の業に繋がります。
その観点から見ても、自分以外の命を傷付ける行為は、思考によって自殺するより、ずっと自分の視野を狭める、愚かな生き方にしかならないのです。

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泡沫の記憶

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2007/11/03

目的は吸収か。~大連立案~

福田首相と民主党の小沢代表は2日午後、2度目の党首会談を行い、首相は連立政権樹立の協議を提案。小沢氏は持ち帰ったが、民主党は同日夜の役員会で、国民の理解を得られないとして提案を拒否する方針を決定、小沢氏は電話で首相に伝えた。今後、自民、民主両党対立激化に加え、公明党も距離を置くことが予想され、首相の政権運営は厳しさを増しそうだ。小沢氏も求心力低下は必至。今後の政局が政界再編含みで展開するのは間違いない。
(共同通信)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

大連立案を出したとされる福田総理と、それを断ったとされる小沢代表。
両者、政治家としての資質は十分ですね。意思の貫き方が半端じゃない。
そして、でかい。政治家ってなぁこうでなきゃいかんのかもね~。

今回の会談で密室がどうとかいわれてる様ですが、それは的外れです。
気になるのは人の心理ですが、そんな事気にしてちゃ務まらんでしょう。
何故なら、福田総理の狙いは、合併に見せ掛けた「民主吸収」だったと思うからです。小沢代表が靡けば、今の民主は自然と自民に飲み込まれる形になる。まだまだ張り合える程大きく無いですからね。
「密談」にだけ目くじら立ててては、その先が見えて来ない。
今回に至っては、小沢代表が一枚上手でしたね。まず自分の島に持ち帰ったところが良い判断でした。(何を偉そうに。

…しかし公明党、立つ顔無しですね。今まで自民(昔は民主も)と手を組んでいただけに、これをされては。

これからは自民・民主共に内輪揉めで、噂のクリスマス解散か?!
…いやだなぁ。。

で、これがきっかけで民主・自民流応報が内部分裂起こして合う者同士くっ付いたりして。

いつか来そうな気がするんだよな。いつか。
同じ党内で何十年もずーっと仲良く出来る気がしない。
既に思想で分かれてるでしょ。

つくづく思うよ。
恐ろしい人間だけが生き残れる場が、国会だって。それなりに図太い人間だけがね。
優しい人はなれないかも。阿部総理ってそうだったんじゃないか?彼が打ち出した案は大体が通っている、という主張をする方もいらっしゃいますが、あれは小泉政権からの引継ぎで、右の派閥は殆ど彼についていましたから、人数決算では通って当たり前なんですよね。
結果、小泉元総理の尻拭い。
可哀想ですが、なってしまったからには、仕方の無かった事なんでしょうね。

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2007/11/01

言葉と民族と戦争

謙遜しても…皮肉でも民族で言及するのはどうかと。。
貴族にもアイヌにもいろいろあったのよ。

てか、そろそろ多民族である事実を認識した方が良いと思うよ。何処の国も。
結局、戦争なんてそれが主な理由なんだし。
民族統一するなんて馬鹿げた夢抱いて迷走しちゃってさ。
裏で手を引いてる奴は利益にその思想を載っけて権力者を釣って戦争で儲けるんだから。
戦争なんて権力者の娯楽よ。国民を使った豪遊。
だから終わらないのよね。
そんな大人が子供に礼儀作法の教育しても、説得力無いんですよね。本来は。

これだけの歴史と人間がいるんだからさ〜。気付こうよ。

他の民族や文化を馬鹿にする方が、野蛮なやり方だよ。そんな人の発言聞くと嫌悪感が体中を走るよ。

大和だって何処だって、戦で血を流した命の上に成り立っているんだから、受け入れられないなら「ふ〜んそんなのがあるのか」位で良いんじゃない?
受け入れられないなら無関心でいても罪にはならないでしょ。

今回は公衆の面前で言う言葉では無かったですね。

山岡氏「アイヌの血引く蛮族」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=329301&media_id=2

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2007/10/25

裏切られたら、

表で切ろう。

バッサリと。

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人間なんてそんなもん。

もし、自分自身の嫌なところを見つけたら。

人間、その瞬間から無意識に精進しているのでは。

それが無い人は、達観したか、単なる惰性か。

どちらにしろ、個性は個性。

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2007/10/20

格言

宗教は飲んでも飲まれるな。

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2007/10/12

特技は、

無い事も特技。

っていうか、特技って仕事なんじゃないかと思う。

私生活での特技って、可愛らしいものが多い気がします。

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2007/09/27

陳腐だけど

その人の人格と仕事としての行動は、違うと思うんですよ。
相乗効果や表現に特徴が出る事はあっても、その人の全てでは無いし。仕事はその人を成長させるものだと思うから、その人が「仕事として行った行為」が、一概に人格否定されるべきでは無い、と考えています。

医者にしろ弁護士にしろ何にしろ。

マスコミによる見境無い医療人叩きを鵜呑みにして、「医者は全員が悪だ」とする様な態度で診療に臨む一般視聴者は、正直もっと客観視して欲しいです。インフォームドコンセントやセカンドオピニオンが十分になされなかった等、「医師個人の問題」も医療問題ではあります。
しかし、果たしてそれが全てでしょうか?
問題の中には、「組織の整備がなされていない」、例えば、連携プレーや役割分担(あまりカッチカッチに分担してしまっても、それしか出来なくなって困るのですが)が疎かになっている場合もあります。最近の妊婦盥回し事件がその典型です。
連絡網の整備は基本、組織内での看護師の負担を軽減する事や、産婦人科医の確保も必要でしょう。
しかし、現状ではそれがスムーズに行われていない事が、実態として浮かび上がっています。
負担の大きい科への敬遠が理由の一つでしょうか。しかし、強制的に「~科へ行け!」と他人が言うのも、結局そこには、医者として働こうとする一人の人の人生がありますから、ちゃんちゃらおかしな話です。
覚悟と使命感が相当強くなければ、特に女性で忙しい科に行くのは至難ですし(生理休暇など取れない病院が圧倒的ですからね。男女差別も根強いと思います)、外科医などは腕が無ければ執刀医として成り立たないでしょう。
個人の自覚を促すのは教育機関の役目ですが、産婦人科や小児科が島流しと揶揄される様な現状を改善するのが、最善の策だと思います。

又、橋下弁護士と弁護団の争いにおける両者への人格否定。あれは何なのだろうと思います。
日本では事件の被害者にまでその様な発言をする人をよく見掛けますが、人格まで否定するなら、その人のプライベートなど、随分なところまで知ってらっしゃるのね?と問いたくなってしまいます。

私も、親戚からありましたけどね。人の真意を汲まずに「没個性」発言されたこと。お前何様だと。…言いたくなりましたがね。その時は黙って聞いといてやりました。年配者だし。何年も会ってない奴が人の個性分かるかよ?人格者気取ってるみたいだけど、「人には必ず個性がある」事忘れてるなら既に人格者では無いよ。

…ここでこんなことほざいてる私もそうだがな。

…話がずれましたが、始めに述べた様に、人格と仕事でしている事って、違うと思うんですよ。
だからあんまり、人格否定発言は正攻法ではないかな、と。

今日はそんなところです。

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医療カテゴリー
「人として。(山口光市母子殺害事件集中審議)」
「もうちょっと書き方を考えてみた。」
「真相って何だ。」

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2007/09/25

栄枯盛衰

今、ジャニーズや吉本興業がTVの大半を占めていますが、どちらも今が最盛期。それを狙ってか、人気に陰りが見え始めた女性芸能人の話題作りに、ジャニーズや人気があるお笑い芸人との熱愛報道が相次いでいますが…歴史からの教訓だと、栄えた後は衰退の一途を辿るのが世の中…。

私が思うに、ジャニーズは、今活躍中のSMAPから嵐(…カトゥーンも?)までで頭打ちでは。

最近デビューしたジャニーズは、お世辞にも演技が上手いとは言えないと思うのですよ…。まぁ若いですし、それはこの先磨けばなんとでもなるのですが。

それからやっぱね、事務所がね。

某女性アイドルグループの様に、最近見境無く次々にデビューさせて、大事に育てている様には思えないんですよ。
芸能界は使い捨てを平気で…というか、いとも簡単にしそうな気がするので。…まぁ偏見ですけど、人の人生懸かってますから、お金入るからって粗末に扱うのはどうかと。吸収する側には勿論の事、育てる側にも責任がありますからね。「その人の人生に関わる」っていう。…人生一括りにしたら、関係無いなんて事無いんでしょうけど。
楽曲の提供もそうですが、本人達に魅力が出なければ、この先、落ち目だと思います。

それから、吉本興業。

…に限らずですかね?こちらも見境無くデビューさせ過ぎている気がします。一発芸にも面白さはあるんでしょうけど、それ以上を求めていないというか。
観客を笑わせているんじゃなくて、観客から笑われている…という感じがします。

「捨て駒」扱いですね。
「どうせ一年やったら終わりだから、今の内(ギャラ安いし)使えるだけ使っとくか」みたいな。
そいう思惑を裏切って、ネタで笑わせられるよう努力して欲しいです。

…私も頑張ります。

どちらも今までの実績からお金はあるので簡単には潰れないでしょうけど、現在第一線で活躍している人達が現役を退いたら、今より目立つか、怪しいですね。

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2007/09/23

真相って何だ。

光市の裁判について、厚かましくも意見させて頂きましたが、私は、

「裁きは事実にのみ基づくものでなければならない」

と考えているので(理想ですが)、現時点での私の脳内情報のみでは「極刑が妥当では無いか」となってしまいますが、ここで問題としたいのが「真実」です。

いかなるものが真実なのか。

それを垣間見るには、裁判の傍聴に立ち合い、全ての偏見を取り払って尚、客観的視点から向かい合う事が最たる近道ですが、未だ出来ず。不透明さによるもどかしさを感じながら、当事者でも無い私に解る筈の無い真実を、一部だけでも噛み砕きたいという衝動だけに駆られ、日々考察しています。

マスコミに流されるつもりは毛頭ありません。唯、TV等で見聞きした内容については必ず四方八方から議論します。

遺族も被告人も弁護士も検察も、「何故、その様な行動に出るのか」。何を考えているのか。

知らずとも、世界は動く。

知らない私は考える事しか出来ないが、それが私の糧になるのなら、どんな事だって考えてやろうと思います。そうする事で見る痛い思いは、今まで数えきれない程ある。今更それは恐くない。

私が今出来るのは、世界と私を繋ぐ事。…唯自分を律したいだけの理屈かもしれないけれど。

無関心を装った時、降り掛かる火の粉からの逃げ道は、無い。

この裁判において、私は唯、結果を待っているだけなのかもしれません。
「性善説」や「性悪説」でも無く、私が人間として求めているのは真実です。

そして、人生の真実が解るのは、死ぬ時。
死は死でしか語れないのと同様に、真実は真実のみでしか語れない。

マスメディアも一部の人が構成しているものなので真実ではありませんが、意見を参考にするだけなら意味があると思います。

そこまで承知しておいて、しかも蚊帳の外の存在である私は、本来専門外の学問・事例に対して公に言及出来る立場では無い(当事者に対して失礼ですから)とは思うのですが、こうして素人なりにでも必死に考えた事を書き留めておきたいと思って実行する行為は、罪にはならないと思うのです。自己主張の強い奴だと思います。自分に甘いのでしょう。

特に、今法廷で争われている遺族の方には非常に失礼であり、勝手に意見したことを申し訳なく思います。
それでもこんな事を書ける私は、やはり冷酷です。

傲慢な私は、自分の人生を集約させる為だけに記事を書きます。しかし、ここでのみ測られる自分は自分では無いので、私はこれからも、私を生かす事に心血を注いで行こうと思います。

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「人として。(山口光市母子殺害事件集中審議)」
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もうちょっと書き方を考えてみた。

「人として。(山口光市母子殺害事件)」、かなり分かり難い内容になっててすみません。言いたい事が多すぎて、それをしっかりまとめ切れていませんでした。支離滅裂ですし。

今回はちょっと違う方向で行きたいと思います。

法学の知識についてはさっぱりですが、そっちの方向で。

以下、私が事実を何も知らない人間という事を踏まえても(被告人の手記などはこの目で見た訳でも無い、声を聞いた訳でもないが)、感じた事を率直に言わせて頂きます。
厚顔無恥とは存じておりますが、何卒、御容赦下さいませ。因みに、この事件に関する私の心理はこちらです。

1.少年法
本村氏には、「凶悪犯罪を少年法を第一にして量刑を考えて良いのか」という主張がある。被害者遺族としては、家族を惨殺され、無期懲役では納得がいかないだろう。

日本の司法では二人以上の殺人は死刑になる筈だが、被告人が元少年だった為、一審・二審での判決は無期懲役。

確か、被害女性の体内からは被告人の体液が検出されていたと思うのだが(他の事件と混同させていたらすいません)、彼が真犯人でなかったと仮定しても、獄中での手記からは、「人間性の欠如」とも取れる内容の言葉が見受けられる。

よって、強姦目的で不法侵入の上、悪意を持って二人も殺した人間に少年法を適用するのは、冤罪の危険性を除き、妥当では無いと考える。

又、一審・二審の被告人の言動からは、「強姦目的」であったことを肯定し、平然と述べているが、それが単に「知能障害」の問題で片付けられるとは思えない。

何故なら、彼は少年法の存在を知っていたからである。手記にも間接的にだがそれを臭わす様な表現があった。

「土からひょっこり芽を出す」

と言うのである。

もしこの言葉が、「俺は未成年だから人殺してもまた社会に出れるんだよ」という意味なら、更生の余地は無い。この部分において彼は知能犯だからである。

このことから、知能障害では無く、「悪意が有っての殺人であった」とする説が、有力である。

よって、当時未成年であったとしても、「殺人」・「強姦」・「悪意の有無」・「更生の余地」という観点から、無期懲役は軽いと、私は考える。

勿論、裁判官でも無い私がこんな事を公の場で言及するのは相応しくないが、思考は脳細胞を活性化するのにも良い事だ。敢えて断定口調とした。

以下、約30行に渡り「約20年間、私が身内から受け続けて来た暴力」について書かれているので、「知りたい!!」と思った方以外(特に知り合いの方)は、絶対に飛ばして読んで下さ。念の為、白抜きにしておきます。
通知が遅くなり、申し訳ありませんでした。

…話は変わるが、私が子供の頃を思い返すと、果たして、未成年はその年齢を刑罰の重さに加える必要があるのか?と疑問に思う。

何故なら、少年時代の私には、考察力も悪意も存在していたからである。

大それた事では、牛乳を零した事で親から「馬鹿」、「神障(しんしょう:精神障害者の意)」、等と罵倒され、酷い時は人の話も聞かぬまま、思い通りにならないからといった理由で髪を引き摺られて床に叩き付けられたり、首を絞められ首と肩を鞭打ちにされた時、紛れも無い殺意を抱いた事。今でも後遺症はあるが、虐待されたからという大義名分で殺しを実行するには十分な動機であり、「殺してやる」というのは悪意である。
「唯、この件に関して言うなら、その場での実行なら情状酌量の余地があったと言えるだろう」―そう、
私は情状酌量を知っていたのである。
もし、虐待という事実が無く、短絡的に人を殺そうとした場合、私はその余地を作り出して免れようとするだろう。そうすることは容易にはいかないが、恐らく少年法による減刑は、それがいとも簡単に行われてしまう。

幼いなりに隠蔽工作程度なら考え付くものである。

私の身の上話による事例のみだが、完全犯罪を行おうとした時の考察力から言って、現行の少年犯罪における少年法の緩さは、是非見直して頂きたい。

2.無期懲役と死刑のギャップ
日本には終身刑が無く、無期懲役の次に死刑というのが、突然過ぎる。

裁判官の判断を悩ませるところでもあるのかな、と思う。

無責任に極刑を下す事は、躊躇われるだろう。

ここで言いたいのは、終身刑があれば安全だ、などという事では無い。無期懲役にしろ何にしろ、刑罰には冤罪という問題があるからである。

又、無期懲役もそうだが、終身刑を置くにも「税金払って犯罪者を食わせるなんてもっての他」だという意見もあり。
利益から考えれば最もな意見であり、蔑ろには出来無い。

しかし、だからといって「極悪人全員死刑!!」と簡単に叫べる程甘い問題でも無い。

…まぁ、日本の強姦罪の軽さは目に余るものがありますがね。窃盗罪より軽いとは、人の尊厳はどこに?と感じます。男性にも適用すべきだと思いますし…。

…最後に脱線してしまいましたが、世界水準から見ても、日本の司法は人の心・命の重さを軽んじている気がしてなりません。

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2007/09/21

人として。(山口光市母子殺害事件集中審議)

この記事は、お世辞にもまとまっているとは言えないものとなっております。なので、出来れば、この記事の最後に載せた「関連記事」の方も読んで頂けると、ありがたいです。

山口光市母子殺害事件集中審議について、以下に意見を述べる。

もし、私が犯罪者で、「償いたい」と心の底から思ったなら、まず、今回の弁護団による弁護を断るだろう。例えそれが避けられぬ事態だとしても、である。
そして、「遺族に自分を見て欲しい」などと言う筈が無い。
何故なら、「償い」とは、「反省によって、無私となった人間が行うもの」だからである(恐縮ですが、ここでは勝手に定義させて頂きます)。
私が犯罪者なら、遺族に顔向けなど出来ない。恐縮してしまい、顔を上げる事すら躊躇うだろう。
それだけ、この事件は重い。なのに、遺族は真相すら不透明なまま。もう、あれこれ口述を変えないで欲しい。もし、やったならその真実を、もし、やっていないならその真実を、述べて欲しい。(やった事は証拠品から事実だと思っていますが。)

独りよがりな妄想ですが、遺族が主張したい事は「唯死刑にする」事では無いと感じる。この事件による「司法の行方」、「死刑の是非」だけがクローズアップされているが、私には、彼らは、少なくとも本村氏は、死刑の前に、判るだけの真実を知りたいのではないかと思えてならない。青年となった元少年に語り掛けるその言葉から、そう感じた。そして、被告人が犯罪者なら、「人間として死をもって償って欲しい」…という事ではないのだろうか。只の「ヒト」としてでは無く、「人」として。

私は、知らない。法廷で真実を見てきたのは当事者だけ。
そして、だからこそ、被害者を含めた彼らが法廷で意見を述べる事は許されなくてはならない。それは義務ですらあると感じる。
真実とは、そこにあるもの全てである。この世に生を受けた限り、全てと無関係である事は出来ない。彼らも又、真実なのである。遺族が意見出来る場が集中審議だけとは、判決において必要な要素を欠いている。
又、少なくとも本村氏は、感情論で口を開いてはいない。そう思うのは、ニュースで拝見する限り、理路整然としているからである。当人なのだから感情が芽生える事は当然である。人はその波から逃れる事は出来ない。だから理性と拮抗させるのだ。感情だけが剥き出しならば、ああはならない。

…過激で御免なさい。偉そうな事言って。

でも、犯罪者である事が真実ならば、人として、罰を受けて欲しい。人のままで。

》以下、NHKHPから抜粋↓
山口県光市で、8年前、主婦の本村弥生さん(当時23歳)と娘の夕夏ちゃんが殺害された事件は、広島高等裁判所でやり直しの裁判が行われていて、当時18歳の元少年に死刑を適用するかどうかが焦点になっています。20日は、遺族2人が法廷に立ち、1審と2審で罪を認めた元少年が、一転して「殺すつもりも乱暴するつもりもなかった」と起訴事実を否認したことに強い不信感を表しました。このうち、亡くなった弥生さんの母親は「反省している態度はまったく見られません。ささやかな幸せを一瞬にして奪われ、死をもって償うべきです」と声を詰まらせながら訴えました。続いて弥生さんの夫の本村洋さんが、元少年に対し、「君が1審と2審で罪を認め、反省のことばを述べたのは、すべてうそだったのでしょうか。ここでの証言が真実なら君に絶望します。命をもって償うべきで、被告人に死刑を求めます」とはっきりとした口調で訴えました。元少年は、うつむきながら身動きせずに遺族の話を聞いていました。このあと元少年は、弁護士から今の心境を聞かれ、「申し訳ない気持ちでいっぱいです。1審と2審では、事件に向き合うことができませんでした。いかに軽べつされても、この法廷で述べたことが真実です」とすすり泣きしながら話し、遺族とは目を合わせないまま法廷をあとにしました。裁判のあと、弥生さんの夫の本村洋さんは「元少年の証言がほんとうかどうかを確かめたいと思い、傍聴してきましたが、わたしの心には届きませんでした。どうしても真実を話しているとは思えず、心の底から反省しているとも思えません。裁判所には極刑という判決を出していただきたいという思いを新たにしました」と述べました。また、元少年の弁護団は、裁判のあと記者会見を開き、安田好弘弁護士は「元少年が今話していることは、捜査段階から述べていることなんだということを立証できたと思っています。裁判所が、正しい目を持った判決を出してくれることを望んでいます」と話していました

《異議》
実はmixiにも同じ記事を載せたのですが、通りすがりの方から以下のコメントを頂きました。
被告の人権擁護という意味を抜きにして、真実の究明には被告、原告両者の弁護人または検察官による弁論が絶対条件です。それをもとに裁判官が法的根拠のみならず、社会通念に照らしても妥当な判決をくだしますこの日記のような刑罰を被告への復讐としてしか見ていない、判断能力不十分な国民に判決をくださせるなどといった陪審員制度は反対なんですよ。」
赤字の部分は最も・当然であると存じます。又、裁判官が判決を下す事は現状における事実ですが、妥当かどうかは別です。裁判官は絶対ではありません
…しかし、
刑罰≠復讐
真実も知らないまま「被告人=犯罪者」と決めて掛かる行為が冤罪を生む危険を孕んでいる事
は誰でも判りますよ。
様々な側面から考察するのは当然の事です。
まして、刑罰が単なる復讐であるなら、その存在自体が無意味な筈です。
私は、極刑について「罪を犯した人間が人として死ぬかどうかの選択を迫るもの」だと解釈しています。本来、事の意味とは、当事者である下す側・下される側がどう捉えるか、なんですがね。
しかし、極刑が必ずしも全うでは無い事も承知しています。何故なら、日本の裁判ではセカンドレイプが罷り通り、余程善良な検察・弁護士で無い限り、真実から遠ざけようとするからです。「やられた方に非がある」など滑稽な意識もありますからね。これは日本に限らずですが。

ここからは完全な私情ですが、このコメントの主には、その人を見もせず「判断能力が無い」などと愚弄した事に、自分の礼儀の無さを恥じて欲しい。それこそ、『真実を垣間見ようとする』行為から逸脱しており、滑稽である。
言われた当人と致しましては、「一人の人間である裁判官が下す判決だけが正論」などとも取れるこのコメントからは(これも独りよがりですが)、「意識の追従」しか読み取れません。ですから、この方にわかる様に敢えて陳腐な言葉を入れてこの記事を書きました。
身勝手な思考とは存じておりますが、ここでは敢えて言わせて頂きました。失敬。

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「陳腐だけど」

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2007/09/13

阿部首相辞任表明

阿部首相が辞任表明しましたが、今になって騒がれている教育・年金問題は、元はと言えば小泉元首相が残した問題です。尻拭いさせる為に阿部首相を引き摺り出したんじゃないか、なんて事まで勘ぐってしまいますよ。

郵政民営化も、馬鹿を増やすのが目的のゆとり教育も、全てはアメリカからの要求ですが、それに追従してばかりでした。その結果が「今」です。要は、「馬鹿を増やして戦争賛成を唱えさせ、そうなったら勉強してこなかった層を戦地に派遣する」のが狙いなんでしょう。所得が低い家の子供は、義務教育で最低限の知識しか勉強する事が出来ないんですから。「人生は知るか知らないか」という煽り文句は、強ち嘘では無いと思います。

今年に入って韓国が中東にやられましたが、今年、いや、少なくとも2〜3年以内に、日本もやられますよ。派遣した見返りに。「報復には報復を」が信念ですからね、テロリストは。
私は馬鹿になっても、「戦争賛成!万歳!!」なんて自発的には言いたくありません。戦争に於いて、子供は虐殺され、女は誇りを傷付けられ、男は人を殺す為だけに戦場に赴く事は絶対の付き物です。紳士的な戦いなど、幻想に過ぎないと思います。

選挙だって、お祭りじゃないんですよ。パフォーマンスだけで政治が出来るなんて、めでたい国ですね。
これで又、「しめたっ」とばかりに小泉さんが出てきたら、日本の未来は赤信号です。格差は開くばかり、ノーベル賞などは愚か、これ以上人は育たないでしょう。もしかしたら今回の事も、アメリカとの謀略かもしれませんからね。アメリカにとっては使える犬ですからね、彼は。
党の方針を読む事は必要ですが、縋る事はしたくない自分であります。

はてさて、世界の真実は、誰が握っているのか…。

まぁ、阿部首相も、日頃から拝み屋に頼んでいる様じゃ(この事は週刊誌によるネタからではありません。現に私の身近な人間が、立ち会っておられますので。私は週刊誌に掲載される以前から会の名前も知っていましたし、週刊誌は信用しない主義なので)、意志が強くは無かったんでしょう。
…可哀相っちゃ可哀相だけど。政治に同情は要らないのかもね。

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2007/08/20

患者の暴力

横暴患者に大学病院苦悩、昨年は暴力430件暴言990件
全国の大学病院で、昨年1年間に医師、看護師が患者や家族から暴力を受けたケースは、少なくとも約430件あることが、読売新聞の調査で明らかになった。
理不尽なクレームや暴言も約990件確認された。病気によるストレスや不安が引き金となったケースも含まれているが、待ち時間に不満を募らせて暴力に及ぶなど、患者側のモラルが問われる事例が多い。
回答した病院の約7割が警察OBの配置などの対策に乗り出しており、「院内暴力」の深刻さが浮かび上がった。
調査は、先月から今月にかけ、47都道府県にある79の大学病院を対象に行い、59病院から回答があった。このうち、何らかの暴力あるいは暴言があったと回答した病院は54にのぼる。暴力の件数は約430件、暴言・クレームは約990件。暴力が10件以上確認されたのは6病院、暴言・クレームが50件以上あったのは5病院だった。
「クレームはここ2年間で倍増した」(大阪大医学部付属病院)など、暴力や暴言・クレームが増加しているという回答は、33病院に達した。ただ、こうした件数や事例を記録に残していない病院もあり、今回の調査結果は、「氷山の一角」の可能性が高い。
暴力の具体例では、入院手続きの時間外に訪れた軽いけがの男性に、医師が「ベッドの空きがないので明日来てほしい」と告げたところ、缶コーヒーを投げつけられ、注意すると顔を殴られて、顔面を骨折したケースがあった。入院患者から「言葉遣いが気に入らない」という理由で足に花瓶を投げられた看護師もいた。
けがを負う病院職員は少なくないが、「病気を抱えて弱い立場にいる患者と争うことはできるだけ避けたい」という意識から、警察に届け出ない場合も多いという。
暴言・クレームでは、複数の患者がいたために、すぐに診療を受けられなかった患者の家族が、「待ち時間が長い」と腹を立てて壁をけったり、暴言を吐いたりした。検査後に異常がなかったことがわかると、患者から検査費用の支払いを拒まれた病院もあった。
精神疾患や重い病気で心理的に追い詰められた患者が、暴力や暴言に走ってしまった事例もある。しかし、多くの病院は、それ以外の患者や家族による理不尽な行為に悩んでおり、「(一部の患者から)ホテル並みのサービスを要求され、苦慮している」(慶応大病院)との声が上がっている。
具体的な対策をとっている病院は44にのぼり、警察OBを職員に雇い、患者への応対に当たらせている病院は21、暴力行為を想定した対応マニュアルを作成した病院は10あった。院内暴力を早期に発見・通報するため、監視カメラや非常警報ベルを病棟に設置する病院もあった。(2007年8月19日3時4分  読売新聞)

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以前「八つ当たり医療現場」にも書きましたが、「患者=医者=看護師=人間」ですよ。患者だから何ですか。医者だから何ですか。
そもそも、小泉内閣の際、医療費を削減した事にも問題がある訳で、もう少し社会の全体像を見てから行動に移して下さいよ。
医師の暴力も患者の暴力も同じです(医療ミスは普段の生活での暴力とは異なると定義した上で)。野蛮とされる自己主張の取り方をする前に、理性でものを申して下さい。
このまま放置しておけば、今後必ずエスカレートします。「手を上げる」暴力以外の事だって起こりますよ?今でも、診療中に、医者や看護士が患者に性的暴行を加える事件が実際にあります。それでも医師免許は取り下げられません。そんな事態まで招いているのに行政は何もしない。このままでは、非人道的行為が医療機関にまで蔓延る事になります。無法地帯のまま野放しにしておいて良いのでしょうか?
何故、燐とする態度が許されない世の中になったのか。
人間なら甘えるな!

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2007/08/19

1文字5円、卒論に代行業者…大学は「見つけたら除籍」

「大学の卒業論文やリポートの執筆を有料で請け負う代行業者が登場し、波紋を広げている。
学生がインターネット上で見つけた資料をリポートなどに引き写す「コピー&ペースト」が教育現場で問題となっているが、これを上回る究極の「丸投げ」で、文部科学省は「事実とすれば、到底認められない行為」としている。
ネット検索大手のグーグルも、「こうした代行は不正行為にあたる」と判断、代行業者のネット上の広告掲載を禁止する措置に踏み切った。
「国立大の学生・院生を中心としたチームなので安心の品質」「6年で740件の代行実績」。ある代行業者のホームページ(HP)には、そんなうたい文句が並ぶ。別の業者のHPは「社員は学生時代に必要最低限の勉強量で優やAを取ってきた精鋭ぞろい」とアピールしている。
料金は1文字5円程度。納期は卒論で1週間以上、リポートでは2、3日以上が多い。テーマや内容、分量、納期などを指定のメールアドレスに送り、その後のやりとりで合意すると正式契約となる仕組みだ。こうした業者のHPはネット上で少なくとも三つ確認されたが、個人レベルで請け負っているケースもあると見られる。
このうち、昨年4月から事業を始めた業者が読売新聞の取材に応じた。これまでに300件近い問い合わせを受け、実際に100件以上を請け負ったという。2万字程度のリポートで10万円、発表会のための個別指導を含む卒論執筆だと35万円からという料金設定にしている。
事業を取り仕切る20歳代の男性は「もともと大学院の入試対策を有料で行うつもりだったが、依頼の大半は卒論やリポートの代行だった」と明かす。法律関係が依頼の半分近くを占め、文学、経済関係も多い。理系では物理や化学は皆無で、情報科学の依頼が数件ある程度。これまでに、「単位が取得できなかった」「発覚してしまった」という苦情は寄せられていない。
「卒論を3日で仕上げてくれ」など、安易に代行を頼む学生もいるが、この男性は「依頼者の多くは、教員に放任扱いされ、課題にどう対処すべきか悩んでいる。我々がやっているのは、最後の駆け込み寺のようなもの」と主張している。
これに対し、この業者のHPをネット上で見つけた京都府立大の川瀬貴也准教授は、今年1月、「あなたたちのしていることは犯罪。即刻やめるべきだ」というメールを送った。「『卒論を代わりに書く』という商売があるとは、とんでもない話。発覚すれば、学生の単位を取り消すどころか除籍処分ものだ」と憤る。
文部科学省大学振興課も「いかなる理由があろうと、他人に卒論やリポートを書いてもらうことは、常識からも認められない」との見解だ。ただ、大学側からの事例報告などがないため、当面は調査などはせず、様子を見守るという。
一方、検索大手のグーグルは今年5月、卒論代行業者の広告掲載を禁止した。検索語と関連するウエブサイトが広告として掲載される機能で、今回の禁止措置について、グーグル広報部は「情報提供や執筆のサポートではなく、全部を代行するというのは、不正行為にあたると判断したため」と説明している。」(2007年8月18日16時14分 読売新聞)
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志の低い学生がする事です。高い学費を払って学を修めようというのに、それなら初めから行かない方が…とまで思ってしまう私は堅物です。
しかし今は、「大学行けば何とかなるだろ」という思想が世に蔓延り過ぎている。小学生の頃から思っていた事だが、日本の教育には「問いかけ」が無い。自ら哲学する事が理想だが、何故こうも「言われた事をやる」だけが評価される世の中なのか。それとも、その矛盾に気付き、己の力だけで這い上がれとでも言うのか?!過酷だ…しかし価値はある。
「法学部の学生が大半を占める」とあるが、私の友人は、ゼミに教職と、休む間もない無い位、いつも頑張っていました。怠けているだけの学生に言いたい。「恥を知れ!」と。
まぁ理系はデータ改竄が問題でしょうな。学生が自発的に改竄するのは点検があるから難しいと思うけど、教授が許しちゃったり見落としたりしちゃったら、折角実験で得た事実を捻じ曲げる事になりますからね。不本意な結果でも、そこから考察していくのが科学屋の醍醐味でもあるのでしょうから。今でも院生として研究に勤しんでいる皆様、尊敬&応援しています。頑張って下さい。
しかし1文字5円って、どんだけ金持ち?!まぁ、今はバイトで稼いでいる人もいるから、ちょろい奴にはちょろいのか。

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2007/05/19

悪魔の棲む教室

以下には、性に関する記述がなされています。閲覧の際は、お気を付け下さい。

【尼崎小4児童暴行事件】

・兵庫・尼崎で起きた小4男児による同級生女児への性的暴行事件。
 「アダルトビデオと同じことがしてみたい」という動機で、複数男児の目の前で呼び出した女児を暴行するという悪質なものであったが、事件発覚後の加害男児側や教委の対応について被害女児の母が以下のような証言をした。(ソースは、週刊新潮記事を朝日放送「ムーブ」が報じたもの。ばぐ太書き起こし)

・被害女児の母(女児は母子家庭)・加害男児の父が学校内で面会したとき、加害男児父が封筒を 差し出してきた。その受け取りを拒否すると、教師が「お母さんはどうしたいのですか?」と問う。
 被害女児母は「先方に引っ越してもらいたい。それが無理なら私の方が引っ越します。ただし、その場合は引っ越し費用をお願いします」と話すも、両家の話し合いは平行線で終わる。
 2日後、加害男児の母が被害女児母をファミレスに呼び出す。そこで加害男児母が「本当に申し訳ありません」と詫び、引っ越し費用を加害男児側が負担することで合意がなされた。
 ところがその翌々日、被害女児母のもとに警察から「あまりひどいことを言わない方がいいですよ」と電話が。なんと、加害男児父は「妻が恐喝された」と警察に訴えていたのだ。被害女児母は警察に事情を話すことで納得してもらい、その日の夕方に校長室で加害男児父と面会することに。
 そこで加害男児父は「女房は怖くて夜も歩けないと言っている」「子供に手を出したらただでは済まんぞ」と言い、これを最後に連絡がなくなった。

 被害女児は精神的に大変な状態になっているが、費用もなく引っ越しはできないまま。学校側は何ら対応を取らず、市教委に問い合わせても「女児に問題があった」というような発言をする始末。

 結果、数か月たっても被害女児・加害男児は同じ小学校に通っている。
 ttp://www.youtube.com/watch?v=lp6GUXIfi0U

※元ニューススレ
・【社会】 「AVと同じことしたい」 小4男児、複数男児の前で同級生女子に性的暴行。市教委ショック…兵庫・尼崎★8

以上、http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=17785065&comm_id=2071333より

「被害者が悪い」

この考えが浸透しているのが日本である。まるで人を玩具の様に弄び、心を殺す。こんな事が平然と罷り通るなど、先進国には程遠い。無法地帯の代表国だ。何故、この国に終身刑は存在しないんだ?

「AVと同じ事がしたい」などという下らない欲求の為だけに、周りの男児に見世物にし、女児の人生を、心を傷つけた。助けもせずに便乗した奴等の精神はどうなっているんだ?彼らは既に血の通った人ではない。人の皮を被った下等生物だ。それとも脳が、死んでいるのか?
被害の後も同じ学校に通うなど、学校側の対応が知れない。人一人の人生を台無しにしておいて、恥ずかしくもなんともないのか?まるで、今期放送中のフジテレビドラマ「わたしたちの教科書」の学校の対応と同じ事が、現実学校で起こっているようだ。
事実、この歴史の中、隠蔽工作などhいくらでもあるだろう。いくらでもある―だからこそおかしいのだ。こんな事が罷り通るこんな世の中だから、悔しくていられないんだ。
「夜遅くで歩くのが悪い」。仕事で遅くなる。好きな人や友達と会っていて遅くなる。どうしてそれが自由に出来ない?大阪のペッパーランチ事件…食事すら安心して出来ないのか?
「格好が挑発していた」。この発言は、電車で痴漢した加害者が口にした動機だ。何故加害者の言い分が罷り通り、「露出は控えろ」と言われなければならない?そもそも、そんな情動を理性で制御出来なかった方に、人として問題があるのではないか?

「被害者が悪い」。

もし、自分が同じ目に合ってこんな事を言われたら、どうだ?死にたくはならないか?一瞬でも、世界を憎まないか?傷ついた人間を更に傷つけて、それで何が生まれるんだ?
言えるのか?これから先、何があるかあるか分からない世の中で傷つくかもしれない自分を置いて、それを言えるのか?私は言えない。言う気持ちが分かるか?分からない。
男も女も関係ない。そもそも、男性に対する強姦罪が認められていない方がおかしいではないか。今の法は、加害者を守り、被害者を隅に追いやる。それでしかない。
殺人には正当防衛が存在するが、強姦には存在しない。「殺されそうになったから強姦しました」は成立しない。
まして、被害者にPTSD等の精神的被害を負わせても、のうのうと生きていられるのだ。そして、数年で牢から出てきて自由になれる。人の人生を狂わせておいて、殺しておいて、何故、お前が生きているんだ?

自分より弱い者に手を出した人間は、一生堅気になれないという統計があるそうだ。…これについては何となくとしか言えないが、筋が通る気がする。

…こんな世の中なのだ…仕方が無い。「仕方が無い」というのは、諦める為のものでは無い。「仕方の無い世の中」だからこそ、もう自分の身の安全を、誰かに委ねたりは出来ないのだ。法があって法が無い。日本はそんな無法地帯国家だ。この非情な世界で安全を守りながら生きて行く為の、苦肉の策なのである。行政は何もしない。

被害者の女児は、息を潜めて加害者と同じ学校へ登校しなければならないのだ。そんな重荷を、背負って行けというのか。―どうかそれでも、強く気高く、生きていって欲しい。今、それだけが私の願いだ。

子供である前に、教師である前に人間なのだという事を、忘れてはならない。

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僕たちの歴史

遺伝子のその形の如く、私達は歴史を背負っている。切っても切れない螺旋の様に、その形は続いている。

映画・「パッチギ!」を後半だけ見た。在日朝鮮人の男子学生が死んでしまい(事故だったのか他殺だったのかは分からないんですが)、その友人だった主人公の日本人学生が葬式に訪れるが、その時、友人の祖父(で良いのかな?)に「帰ってくれ」と言われてしまう。

「日本の国会の大理石を積み上げたのは誰だ?!若いもんは、そんな事も知らないで」

この後に続く台詞は何だったのだろう?「そんな事も知らずにのうのうと生きて」だったのではないか。―言いたくなるさ。強制連行、慰安婦という名の強姦犯罪。全てが事実では無かもしれない。でもそれにしたって、どんだけの事、やってきたんだよ。私の先祖は。

「平和ボケした日本人」、「無知な国民」。まるで、その罪の重さを知らないかのように罵られる私達。
でもね、わかって欲しい。私だって好きでそんな汚い歴史を背負ったんじゃないんだ。それがエゴだって判ってる。でもこの事実は、世界中何処でも同じじゃないのか?認め合えない現実を身に染みる程噛み締めていても、私の中でこれだけは消えない。少なくとも私が過去の歴史を想って卑屈になるのは、私が犯した事だからじゃ無い。私が近隣諸国に顔向け出来ないのは、…全ての祖先がいたからなんだ。
もし合間見える事が出来るのなら、現代の日本の有様を、彼等の目前に突き付けてやりたいよ。

「お前らは、どんだけ私の顔に泥を塗ってくれたんだ」

…と。私は望んじゃいない歴史を背負って生きていくんだ。これからもずっと。…こんなこと言うのがエゴだって、判っているよ。私がその時代そこにいて、同じ事をしない保障は無いんだ。
今この時、同じく私の様な人間に、エゴをぶつけられているかもしれない。
そして私も、いつかその内の一人になる。後世に泥を塗り、希望を抱かせる歴史の内の一人になる。

留学生の友達―繋がってる筈なのに、時々、自分の中で溝を作ってしまう。「ごめんね」言わなきゃ、顔向け出来ないって。

「私がやったんじゃないよ、私がやったんじゃない。」
そんな言い分、世界は聞いてくれやしない。
それは皆同じだから。
日本には忘れちゃいけない過去がある。韓国だって中国だって、イギリスだってアメリカだってドイツだって、アフリカだってケニアだって、どこだって。積み上げてきた歴史という名の道を、歩いてきたんだ。

もしも今までの歴史が無かったら、今頃、「私」という遺伝子は存在しないのかもしれない。1分1秒、狂っただけでも。

私の後ろは瓦礫だらけ。積み上げて積み上げて。そんな醜くい瓦礫の上を、歩いて来たんだ。けれどそれは、時々美しい。命が瞬く音がする。

私がこうして生きていられるのは、全ての祖先がいたからなんだ。

親も親戚も友達も先生も、振り返ったら、同じ人間。
日本人も韓国人も中国人も、イギリス人もアメリカ人もドイツ人も、アフリカ人もケニア人も…振り返ったら、命の起源は同じかもしれない。

私は瓦礫の上を生きている生命。この命が尽きるまで、私の瓦礫を乗せながら、歩いて行くんだろう。

生きている限り、嫌でも背負っていかなければならないのかもしれない。
しかし、私はこれから、先人と同じくそれを積み上げていくのだろう。生きた証と共に既に積み上げられた瓦礫の上に、新たに瓦礫を乗せて行く。そうやって紡がれてゆく時代。

刻み込まれた記憶は、離れることなく中に残って、私を形作って行く。
私達は皆何処かで、それを抱えて生きて逝くのだろう。いずれどこかで訪れる、死の世界まで。

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2007/05/14

八つ当たり医療現場

最近の医療現場では、入院している患者又はその家族が、医師に対する不満を、抓る、引っ掻く、セクハラ等の暴力として看護師に向けている。患者側からしたら、十分なインフォームドコンセントを施さず、投げやりで治療される―もはやその形が治療と言うべきなのか謎である。個人的見解として、医師は肉体の治療は勿論の事、患者の精神的ケアまで範疇に入れて初めて、「治療を行った」と言えるのではないかと考える。―事に腹立たしさを感じ、その怒りをぶつけたくなるのが当然だろう。しかし、その怒りをぶつける場を、人を間違えてはいないだろうか。患者も医者も看護師も人間だ。勿論、インフォームドコンセント等の治療は医師だけでなく看護師にも必要なものだ。この個人的理念を念頭に置いた上で、以下に意見を述べる。

看護師とはおそらく、医者からの膨大な指示に従いながら患者の直接的なケアを行い、日々の役目を果たしているのではないか。(無論中には怠け者もいるだろう。社会は「8:2=怠け者:働き者」の構図が成り立っているという説まであるほどだ。)その役割上、自ずと患者と接する時間は長くなる。よって、患者の中には「医者より看護師の方が接し易い」と感じる者が出てきてもおかしくない(実際そうだと思うのだが)。そうすると、より看護師に対して安心感や親しみ易さが芽生えてくることだろう。―ここまでは良い。問題は、その先の捉え方である。ここで「ありがとう」という気持ちを抱くか、あるいは抱いたとしても、患者の頭の中で「医者>看護師」(因みに、管理人の頭の中ではこの様な構図は成り立っていない。「治療出来る範囲」で言ったらそうなるとは思うが、何か別の所で、「医者=看護師」である。)の立場に付け入るかどうかである。患者の事を「患者様」などと呼ぶ病院も増えているそうだし、一部の医者が「俺は患者より上だ」とする傲慢さと同様に、患者の中にも似た様な傲慢さが生まれているのではないかと思われてならない。先程も述べたが、患者=医師=看護師=人間である。もし、自分が患者で、治療で医師に酷い扱いを受けたのなら、その不満や怒りは看護師ではなく、当事者である医師について病院にぶつけるべきである。又、厚生労働省等にメールで訴えても良いだろう。正直、そうする事で即効性ある解決が出来るかどうかと聞かれると、答えはNOだ。しかし、入院中面倒を見てくれている人に対して暴力を振るうとは、如何にも人間性が乏しく感じられ、腹立たしさを覚えてしまう。看護師に「訴えるな」と言っているのでは無い。それは勿論賛成だ。「理性的に訴える」事と「暴力で接する」のとでは天と地の差だ。看護師も病院の一員であり、看護に従事している。よって、患者が「訴える」権利はいくらでもある。そして、医師や看護師には、患者からの治療における不満(あくまで医療についてだ。)を受け止める心の準備が必要である。何故なら彼らは、国民のお金でご飯を食べて、生きていけるのだから。

確かに、入院中の患者に対し道徳的観念どうこうを言うのは酷であり、それこそが間違っているかもしれない。人間、体が痛めば心も痛む。しかしながら、「あらぬ暴力行為」に出てしまう前に、不満をどうにか理性的に乗り越えてほしいものである。

今までに暴力を受けても、看護師として患者の、唯でさえ不安定な精神を支えようと人命救助に尽くそうとする人には、心から感動する。そして、そんな彼らがいるからこそ、病気で不安定になった時、その気持ちは、「受け止めてくれ」と云わんばかりに彼らにぶつけても良いのかもしれない。それは暴力とは違い、彼らの成長を促進させる栄養剤になるのではないかと思う。

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